X JAPANの歴史を振り返ると、1997年の解散と、その約4か月後に起きたhideの急逝が非常に近い時期に重なっています。そのため「もしToshlが脱退せず、X JAPANが解散していなければhideは亡くならなかったのではないか」と考える人がいるのも不思議ではありません。
しかし、残されている事実からは、X JAPANの解散がhideの死を直接引き起こした、あるいは解散しなければ確実に亡くならなかった、と断定することはできません。時間的に近い出来事ではありますが、因果関係が証明されているわけではないからです。
むしろ1998年当時のhideは、X JAPAN解散後にソロ活動を止めるどころか、hide with Spread Beaverとして新しい活動を本格化させ、シングル、アルバム、全国ツアーなどの計画を進めていました。X JAPAN解散、Toshlの脱退、hideのソロ活動、そして1998年5月2日の急逝を分けて考えることが、この問題を理解するうえで重要です。
- X JAPANはなぜ1997年に解散したのか
- Toshl本人が語っている「洗脳」とX JAPAN脱退
- hideはX JAPAN解散後に活動をやめていたわけではない
- hide with Spread Beaverという新しいバンドも始まっていた
- hideが亡くなったのはいつ?X JAPAN解散から約4か月後
- hideの死因についても慎重に扱う必要がある
- 「X JAPAN解散がショックだった」という可能性と因果関係は別
- むしろ解散後のhideには多くの予定が存在していた
- もしX JAPANが続いていたら未来は変わっていた可能性はある
- 「あの日の行動が違えば」という考え方なら無数の可能性がある
- Toshlにhideの死の責任を結び付けることもできない
- X JAPANのメンバーにとってhideの死は極めて大きな出来事だった
- hideはX JAPAN再結成構想にも関わっていたと語られている
- 解散後のhideはソロ活動で大きな成功を迎えつつあった
- 1998年に予定されていた活動を考えると単純な悲観論では説明できない
- 「生きていた可能性」と「必ず生きていた」は大きく違う
- なぜファンは「もし解散していなければ」と考えてしまうのか
- 時系列で見るX JAPAN解散からhide急逝まで
- まとめ|X JAPANが解散しなければhideが亡くならなかったとは断定できない
X JAPANはなぜ1997年に解散したのか
X JAPANは1997年9月22日に記者会見を開き、解散を正式に発表しました。hide公式サイトの年表でも、この日に解散が発表されるとともに、TOSHIが同年4月20日付で脱退していたことが明らかにされたと記録されています。[参照:hide official web site]
その後、1997年12月31日に東京ドームで「THE LAST LIVE」を開催し、X JAPANはいったん活動を終了します。したがって、「Toshlの脱退がバンド解散の大きな契機になった」という理解は歴史的な流れとして大きく外れていません。
後年公開されたドキュメンタリー映画「WE ARE X」を紹介した記事でも、Toshlの洗脳騒動や脱退を発端として1997年にバンドが解散した経緯が紹介されています。[参照:ORICON NEWS]
Toshl本人が語っている「洗脳」とX JAPAN脱退
Toshlは後年、自身が長期間にわたって心理的・金銭的な支配を受けていた経験を「洗脳」として公に語っています。そのため現在では、1990年代後半のToshlをめぐる問題とX JAPAN解散を関連づけて語ることが一般的になっています。
ただし、この問題については当時の本人の心理状態、関係者との関係、バンド内部の事情など複数の要素があります。「洗脳されたから解散した」という一文だけですべてを説明すると、実際の複雑な経緯を単純化してしまいます。
重要なのは、Toshlの脱退によって従来のX JAPANとして活動を継続することが難しくなり、最終的に1997年の解散へ至ったという大きな時系列です。
hideはX JAPAN解散後に活動をやめていたわけではない
「X JAPANがなくなったことでhideが生きる目的を失ったのではないか」と想像されることがあります。しかし、解散後の実際の活動を見ると、それほど単純ではありません。
hide公式サイトによると、1997年12月31日のX JAPAN解散ライブの翌日、1998年1月1日の朝日新聞にはhide with Spread Beaverの活動開始を知らせる広告が掲載されました。その後、1月28日に「ROCKET DIVE」を発売しています。[参照:hide official web site]
さらに1998年には3枚のシングル、フルアルバム、全国ツアーなど、年末までかなり具体的なスケジュールが組まれていました。つまり少なくとも音楽活動の面では、hideはX JAPAN解散後も明確に次の展開へ進んでいました。
hide with Spread Beaverという新しいバンドも始まっていた
hideはX JAPAN解散後、完全な一人のソロ歌手として活動していたわけでもありません。I.N.A.、KIYOSHI、K.A.Z、CHIROLYN、JOE、D.I.E.らと「hide with Spread Beaver」を本格始動させています。
長年hideと制作を共にしたI.N.A.も、hideについて「ソロで活動しているのにhide with Spread Beaverというバンドを作った」と振り返り、hideが根本的にバンドマンだったことを語っています。[参照:ORICON NEWS]
そのため、「X JAPANを失ったため活動の場がなくなっていた」という説明は事実とは一致しません。むしろ1998年は新しいプロジェクトを急速に進めていた時期でした。
hideが亡くなったのはいつ?X JAPAN解散から約4か月後
X JAPANのラストライブは1997年12月31日でした。hideが亡くなったのは翌1998年5月2日で、33歳でした。
時間だけを見ると解散から約4か月しか経過していないため、両者を結び付けて考えたくなるのは自然です。しかし、出来事が時間的に近いことと、一方がもう一方の原因であることは別です。
例えば「解散から数か月後に亡くなった」という事実だけでは、「解散がなければ死亡しなかった」という反事実的な結論を証明することはできません。
hideの死因についても慎重に扱う必要がある
hideの死については、当時の報道と現在の公式な表現に違いがあります。
1998年当時の報道では、hideは東京都内の自宅で意識のない状態で発見され、病院へ搬送された後に死亡したと報じられました。当時の警察は自殺の可能性を含めて捜査していましたが、理由は不明と報じられています。[参照:The Japan Times]
一方、現在のhide公式サイトでは、1998年5月2日に「不慮の事故により急逝」と表現されています。[参照:hide official web site]
本人が説明を残すことのできない出来事である以上、第三者が心理状態や意図を断定するのは適切ではありません。
「X JAPAN解散がショックだった」という可能性と因果関係は別
もちろん、長年所属した巨大なバンドが解散したことがhideに何の感情も与えなかった、と断言することもできません。
X JAPANはhideにとって長年活動してきた重要なバンドであり、メンバー同士にも深い関係がありました。バンドの終了が精神的に大きな出来事だった可能性は当然あります。
しかし「大きなショックだった可能性がある」ということと、「それが死亡原因だった」ということの間には大きな差があります。後者を裏付ける確実な資料は確認されていません。
むしろ解散後のhideには多くの予定が存在していた
反事実を考える際に重要なのが、hideが亡くなる直前にどのような状況だったのかという点です。
hide with Spread Beaverには1998年を通じた活動予定が組まれており、すでに「ROCKET DIVE」が発売され、その後の作品制作も進んでいました。アルバム制作と全国ツアーも予定されていました。[参照:hide official web site]
共同制作者だったI.N.A.の証言からも、hideが当時精力的に音楽制作を続けていた様子が確認できます。[参照:ORICON NEWS]
もしX JAPANが続いていたら未来は変わっていた可能性はある
ここから先は歴史的事実ではなく仮定になります。仮にToshlが脱退せず、X JAPANが1998年も活動を続けていたなら、hideの生活やスケジュール、人間関係が実際の歴史とは違っていた可能性はあります。
例えばX JAPANのレコーディングやライブが続いていれば、1998年5月1日から2日にかけてhideがどこで何をしていたかも違った可能性があります。その意味では、歴史上の一つの条件を変更すれば、その後の出来事が変化する可能性そのものは否定できません。
しかしこれは、「その場合hideは必ず生きていた」という証明にはなりません。未来に起きなかった出来事を検証する方法がないためです。
「あの日の行動が違えば」という考え方なら無数の可能性がある
歴史上の突然の死については、「もし前日に別の場所へ行っていたら」「もし仕事が一本入っていたら」「もし誰かと一緒にいたら」と無数の仮定を作ることができます。
X JAPANが活動を続けていれば当日の行動が違った可能性も、その一つです。しかし同じ論理なら、Spread Beaverの予定、友人との予定、仕事の時間など、ほぼ無限に条件を変えることができます。
したがってX JAPANの解散だけを特別な原因として選び、「解散しなければ死亡しなかった」と結論づける根拠はありません。
Toshlにhideの死の責任を結び付けることもできない
この話題で特に注意したいのが、「Toshlが脱退した→X JAPANが解散した→hideが亡くなった」という時系列を、そのまま責任関係として考えてしまうことです。
出来事がA、B、Cの順に起きたからといって、AがCの原因になるとは限りません。Toshl自身も当時複雑な状況の中におり、その後長年にわたって自身の経験を語っています。
確認できるのは、Toshlの脱退がX JAPAN解散へつながったことと、その後hideが1998年5月に急逝したことです。Toshlの脱退がhideの死を引き起こしたという因果関係は確認されていません。
X JAPANのメンバーにとってhideの死は極めて大きな出来事だった
むしろ資料から明確に確認できるのは、hideの死が残されたX JAPANメンバーへ大きな影響を与えたことです。
YOSHIKIは後年、hideが亡くなった直後に精神科へ通院していたことを明らかにしています。[参照:ORICON NEWS]
葬儀にはYOSHIKI、Toshl、PATA、HEATHらX JAPANのメンバーも参列し、Toshlは「Forever Love」を歌っています。当時、非常に多くのファンが追悼に訪れました。[参照:The Japan Times]
hideはX JAPAN再結成構想にも関わっていたと語られている
X JAPANは2007年に再結成し、2008年には東京ドーム公演を行いました。hideは当然その場に立つことはできませんでしたが、再結成後もX JAPANではhideをメンバーとして強く意識した演出が続きました。
そのためファンの間では「hideが生きていれば5人で再結成していたのではないか」という想像も長く語られています。
これも実現しなかった未来なので断定はできませんが、hideがX JAPANへの愛着を失って完全に過去のものとしていたわけではないことを考える材料にはなります。
解散後のhideはソロ活動で大きな成功を迎えつつあった
hideはX JAPAN在籍中の1993年からソロ活動を始めており、1994年のアルバム「HIDE YOUR FACE」はオリコン1位を記録しました。つまりソロ活動はX JAPAN解散後に急きょ始めたものではありません。[参照:ORICON NEWS hideプロフィール]
X JAPAN解散後の「ROCKET DIVE」以降は、hide with Spread Beaverという形でさらに独自の音楽活動を拡大していました。
この点からも、「X JAPAN解散によって音楽活動の道が閉ざされた」というイメージは事実と異なります。hideにはX JAPANとは別に明確な活動基盤がありました。
1998年に予定されていた活動を考えると単純な悲観論では説明できない
hide公式サイトでは、1998年のSpread Beaverについてシングル3枚、アルバム、ツアーまで年末に向けて綿密な予定が組まれていたと説明されています。[参照:hide official web site]
実際、死後には「ピンク スパイダー」「ever free」などの楽曲が発売され、大きなヒットになりました。
これらは亡くなる以前から制作されていた作品です。つまりhideは1998年のさらに先まで見据えた音楽活動を進めていたことになります。
「生きていた可能性」と「必ず生きていた」は大きく違う
このテーマで最も重要なのは、可能性と断定を区別することです。
「X JAPANが解散していなかったらhideの行動や人生が違っていた可能性はある」という言い方なら、反事実として成立します。
しかし「解散しなければhideは亡くならなかった」と言い切るためには、解散が死の原因だったことを示す証拠が必要です。現在確認できる資料から、その因果関係を証明することはできません。
なぜファンは「もし解散していなければ」と考えてしまうのか
X JAPANの解散とhideの急逝があまりにも短期間に続いたことは、ファンにとって非常に衝撃的でした。
1997年12月31日に日本を代表するロックバンドが最後のライブを行い、その約4か月後に中心メンバーのhideが33歳で突然亡くなるという流れは、物語として強烈です。そのため二つの出来事を心理的に結び付けてしまうことがあります。
しかし歴史を検証するときには、「印象としてつながって見えること」と「資料によって因果関係が確認できること」を分ける必要があります。
時系列で見るX JAPAN解散からhide急逝まで
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 1997年4月 | TOSHIがX JAPANを脱退 |
| 1997年9月22日 | X JAPAN解散を正式発表 |
| 1997年12月31日 | 東京ドームでTHE LAST LIVE |
| 1998年1月1日 | hide with Spread Beaverの活動を告知 |
| 1998年1月28日 | 「ROCKET DIVE」発売 |
| 1998年 | アルバム制作・全国ツアーなどを予定 |
| 1998年5月2日 | hideが33歳で急逝 |
この時系列を見ると、X JAPANの解散後からhideの死までの間にも、活発な音楽活動が進められていたことが分かります。
まとめ|X JAPANが解散しなければhideが亡くならなかったとは断定できない
X JAPANはToshlの脱退を大きな契機として1997年に解散し、hideはその約4か月後の1998年5月2日に33歳で急逝しました。そのため、この二つの出来事を結び付けて考えたくなるのは理解できます。
しかし、「Toshlが脱退しなかった→X JAPANが解散しなかった→hideは亡くならなかった」という因果関係を示す証拠はありません。 解散がhideの心理にどの程度影響していたかについても、第三者が断定できる資料はありません。
むしろ確認できる事実として、hideは解散翌日の1998年元日からhide with Spread Beaverの本格始動を告知し、「ROCKET DIVE」を発売、さらに複数のシングル、アルバム、全国ツアーなど年末まで活動計画を進めていました。[参照:hide official web site]
したがって「X JAPAN解散によってhideが音楽活動や生きる目的を失った」と単純化するのも、残された活動記録とは合いません。
もちろん、X JAPANが解散していなければ1998年のhideのスケジュールや生活が違い、結果として別の未来になっていた可能性はあります。しかしそれは検証できない反事実です。歴史として言えるのは、X JAPANの解散とhideの急逝は非常に近い時期に起きた別の出来事であり、両者の直接的な因果関係は確認されていないというところまででしょう。


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